コロナ禍でもSNSで常連客をつなぎとめている、高知名物の屋台餃子店~安兵衛(エムエフシー)

公開日: 安兵衛
酒飲みの多い高知県では「飲んだあとは屋台で」という文化があり、餃子が主流だそうだ。昭和40年代に創業した「安兵衛」は、屋台の雰囲気を活かして高知県内で4店舗、東京に2店舗を展開している。東京の店舗では、高知出身のお客が連れを紹介するかたちで広まっているという。

安兵衛を運営するエムエフシーは、このコロナ禍でも感染症対策をしながらSNSや自社ウェブサイトを使って営業状況を発信し、早期に客足を戻してきた。本社の総務部長と目黒店の藤原将店長に、その取り組み内容を聞いた。

高知で愛される「屋台餃子」を知ってほしい!

【Q】高知県では餃子の屋台が盛んと聞きました。 お酒を好む県民性もあって、高知では飲んだあとのシメには屋台で軽く、という流れに至るのが一般的です。飲んだ後のシメといえばラーメンですが、高知では酒のアテにもシメにも合うということで餃子が好まれているようです。それが主流となって、「酒を飲んだ後は屋台餃子で」という文化が生まれていったと聞いています。

昭和45年創業の当社でも、はじめは繁華街からやや離れた川沿いで、5~6席の小さな屋台から始まっています。その屋台が、徐々に席数を増やして、いまは50人ほどが座れる規模になりました。当時のまま、毎日屋台を組み立て、シートを張り、提灯で明かりを採るスタイルを続けています。

屋台で営業しているのは創業当時からの1店舗だけですが、店舗では軒下にテーブルを置いて椅子を並べた形で、古き良き昭和の屋台の雰囲気を味わっていただける作りにしています。(総務部長)
【Q】餃子のこだわりポイントは? 当店の餃子は、創業当時から引き継がれてきた、他では味わえない職人の技術が生み出す手作りの味です。注文を受けてからひとつひとつ丁寧に皮で包み、鉄のフライパンでカラッと焼き揚げます。

皮は、一般の餃子に使われる皮の半分ほどの薄さで、これを焼いたとも揚げたとも言えない、独特の作り方で焼き揚げています。元々が酒のアテとして出しているので、食感を軽く感じるようにしています。(藤原店長)
【Q】東京にも進出されていますが、出店の苦労はありましたか? 目黒に店を出したときは、「高知の屋台?」「高知で餃子?」などと、認知されていないことで集客が伸びず、屋台餃子発祥の経緯から説明する場面もずいぶんありました。

その中でうれしかったのは、高知県出身のお客様が懐かしいと贔屓にしていただいて、自分の店のようにお仲間を引き連れてご来店されることが増えたことです。うちの店は、そうやって客層をひろげてきました。(藤原店長)

昭和の雰囲気での店舗作りとなると客層もシニア世代が多いと思われがちですが、若い人やご家族連れの方にも多くご利用いただいています。これは屋台餃子という業態のおかげでもあります。

もともと酒のアテとして餃子が好まれていましたが、食事をしながらお酒が飲めるということでもあります。だから近年、お酒を飲む若い人が減ってきたなかでも、食事を目的としてご来店いただくケースが少なくありません。(総務部長)

システムの導入を後押ししたのは「漠然とした不安」

【Q】餃子は高知のセントラルキッチンで製造されているのですね。 はい。創業当時からの作り方を続けています。大きなたらいで丹念に混ぜ合わせるという作業を手作業で行っています。餃子は野菜が多めの餡になっていて、ショウガとニラは高知県産を使っています。高知ではニラとショウガの生産量が日本一なんです。

東京の店舗が高知のセントラルキッチンに発注するときは、中1日分のタイムラグを考える必要があります。たとえば今日、2日後の分を発注するときは、昨日発注した明日の仕入れ分を見比べなければなりません。

FAXだとたいへんなので、インフォマートの「BtoBプラットフォーム受発注」システムを使っています。週間発注という指定した曜日に発注予約する機能があるので、iPadで仕入れ数を確認しながら打ち込めるので便利ですね。

発注漏れがあっても、ネット環境さえあれば、いつでもどこでも修正可能というのもありがたいです。(藤原店長)

本部の人員を増やし、仕事を引き継いだ際にも、システム化の手軽さを再確認しました。店舗が増えていけば取引先も拡大し、品数も数量も増えていきます。システム導入前であれば、店舗から来た取引先ごとの注文履歴をみて、数値の動きを確認して、仕入れ先ごとにFAXを流し、電話をしてと、逐一細かく伝えなくてはなりません。当然覚えられず、ミスも増えます。それがシステム化したおかげで、引き継ぎも簡単でした。(総務部長)

コロナ禍でも「いつも通り」を貫いて

【Q】今般のコロナ禍では、店舗運営にどのような影響がありましたか? 東京の2店舗は、営業自粛や時短要請に応じてきたので、休業することが多く、売上は壊滅的といっていいほどの影響がありました。

以前から餃子のテイクアウトはしていましたが、売上は店内飲食が基本です。テイクアウトの伸びを期待するのではなく、やはり通常営業を再開することが何よりの早道だと考えました。実際、1度目の緊急事態宣言が明けて通常営業に戻ってからは、売上も回復し、お客様もほぼ戻ってきていただいたという感触です。(藤原店長)

店では油を使うから換気は常時行っているし、屋台の形式を取り入れた店舗作りをしていたので店の前面は大きく扉を開けられるようになっています。もともと密閉を防げる構造であったことも、お客様の戻りが早かった要因だと思います。(総務部長)
【Q】コロナのための特別な対応はしていましたか? もちろん店員の検温、アルコール消毒のお客様への奨励、食材取扱いの際の意識の徹底など、国や自治体が推奨する対策はすべて取り入れて実施しました。コロナ対策のために、スタッフの感染リスクに対する意識もずいぶん向上したと思います。ただ、そのために店舗を改造したり、大きく模様替えする必要はありませんでした。その幸運を生かすためにも、「いつも通り」をしっかりと続けていくことが大事だと考えました。(藤原店長)

臨時休業や時短営業などで、休みの日や、開店・閉店時間が時期によってまちまちになりましたが、ここで気をつけたのは、お客様に「せっかく来たのに閉まっているじゃないか」とか「もうこのお店潰れちゃったのかな」という不安につながらないよう配慮したことです。

SNSや自社のHP、店頭にお知らせを貼るなどして、とにかくマメに「今日は何時まで開いています」とか「何日から何日まで休みます」などと、できるかぎり情報発信し続けました。これまでにも、そういうSNSや店頭での貼り出しなどの発信は続けていたので、常連のお客様は営業時間を知り得ていたと思います。コロナになっても、いつもやってきたことを継続していくことが大事だと考えました。(総務部長)

郷土愛を前面に、今後も当たり前のことを

【Q】今後はどのような店舗展開をお考えですか? 当初の理念である「高知の屋台餃子の文化を全国に」という目標には終わりがないと思っています。そのためにはまずコロナ禍前の売上に戻すことですが、コロナのおかげで分かったことがあります。

それは、当たり前のことをやっていればお客様に来ていただける、ということです。売上回復が比較的早かったのも、これまでやってきたことの成果だったに過ぎません。今後も、これまで通り当たり前のことを当たり前にやっていきたいと思います。(総務部長)

このところ、高知県出身以外の常連客が増えてきているように感じています。高知出身の方は、話し方やお酒の飲み方でなんとなく分かるんです。アルバイトにも高知出身者が少なくないので、お客様とアルバイトの間で話に花が咲いているのをみることはこれまでもありました。

そして最近は、その会話のなかに、他県出身者が「実は出張で高知に行ってたことがあって…」などと、進んで入ってこられる方が増えているような気がします。高知の輪が広がっていると言ってもいいのかもしれません。いつも通り、郷土愛を前面に出していれば輪は広がっていくと、改めて感じています。(藤原店長)

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